【平成4年】登山家・田部井淳子さん 女性で世界初!7大陸最高峰登頂

登山家田部井淳子さん=三春町出身、享年(77)=は1992(平成4)年6月28日、オセアニア最高峰とされるインドネシアのカルステンツ・ピラミッド(4884メートル)の登頂に成功し、女性として世界初の7大陸最高峰登頂者になった。田部井さんが打ち立てた記録は「女性初」と冠が付くものが多く、女性の社会進出が進んだ「平成」と重なる。
大学卒業後、社会人の山岳会に入会し、登山に親しんだ。69年に「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀(とうはん)クラブを設立。75年には、女性として初めてエベレスト(8848メートル)登頂に成功。91(平成3)年には、南極大陸のヴィンソン・マシフ(4892メートル)に登頂、第1号となる「県民栄誉賞」を受けた。
時代はバブル景気が急速にしぼんでいく中、若い女性が体の線をあらわにした服でディスコの「お立ち台」に上る姿が世間の耳目を集めたころ。田部井さんは分厚い防寒着をまとい高みを目指した。
女性の登山ブームの火付け役でもあった田部井さんの活動は、年々進化。2009(平成21)年には子育てや仕事などで忙しい20~40代の女性たちにも山や自然に親しんでほしいと、山の会「MJリンク」を設立、登山者の裾野を広げた。震災後は、被災地の高校生と一緒に富士山を登った。がんを患い、闘病生活を続けながらも山に登り続ける姿は、性別や年代を問わず多くの人を勇気づけた。
田部井さんは亡くなる9カ月ほど前の16(平成28)年1月、伊達市で講演。聴衆に「一歩一歩進めば、必ず目標は達成できる」と熱っぽく訴えた。「私は今76歳。これからは自分ができることが分かって過ごす人生になる。だからこそ濃密な時間が過ごせると思う」。77年の生涯は、あらゆることに挑戦し続けた、間違いなく濃密な人生だった。
その原動力を、遺品や過去の記録から一端をうかがい知ることができる。田部井さんの愛用品が昨年、古里の三春町に寄贈された。田部井さんが使っていた登山靴やザック、酸素ボンベ、登頂写真などが町歴史民俗資料館に展示されている。
田部井さんの長男で、登山の魅力発信などに取り組む「田部井淳子基金」代表理事の進也さん(40)は「母の挑戦は三春小での登山から始まった。展示品を多くの人に見てもらい、何かを感じてほしい」と話す。「母のように、福島の山や自然の良さを多くの人に伝えていきたい」。目標に向かって一歩一歩進んだ女性登山家の遺志は、時代が変わっても受け継がれていく。
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たべい・じゅんこ 1939(昭和14)年、三春町生まれ。昭和女子大英文学科卒。登山や環境保全などの数々の功績が認められ、91年に県民栄誉賞、95年に内閣総理大臣賞、2007年に環境大臣賞、15年にみんゆう県民大賞を受賞。三春町栄誉町民。
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【平成4年の出来事】
6月・葛尾村が交通死亡事故ゼロ1万日を達成
・田部井淳子さんが7大陸最高峰を登頂
7月・山形新幹線が開業
・ふくしま国体の開催が正式決定
11月・福島空港にフライト・チェックの合格通知、開港に向けて最終段階に
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