才能開花!五輪初出場へ 陸上男子200・山下、400障害・山内

 
五輪代表の座をつかんだ山内大夢(左)と父、兄に続く五輪代表の夢をかなえた山下潤

 陸上短距離で県勢2人が東京五輪出場を決めた。男子200メートルの山下潤(ANA、福島高卒)と男子400メートル障害の山内大夢(ひろむ)(早大、会津高卒)はともに五輪初出場。陸上一家という似た環境の中で競技を始め、それぞれの種目で秘めた才能を開花させた。

 山下、父と兄追い加速

 山下潤が、ともに三段跳びで五輪出場経験のある父訓史(のりふみ)さん(58)、兄航平に続く五輪代表の座を手にした。「(父や兄は)特別意識せずにやってきた。五輪の決勝進出を目指し、勝負したい」と意気込んだ。

 兄航平が出場した2016年のリオデジャネイロ五輪。筑波大1年だった潤は「当時の自分はまだ五輪をイメージできていなかった」と振り返る。それから5年、地道に自分の走りを磨いてきた。自らの走りの強みはスタートからカーブにかけての前半の加速だ。「繊細な力の出力」と表現する走りの技術で、カーブを抜けた時点でリードを奪う。18年日本選手権では桐生祥秀(日本生命)に競り勝ち3位に入るなど、国内でトップ争いをするまでに成長を遂げた。

 3人きょうだいの真ん中で、高校までは三段跳びに取り組んだ時期もあったが、大学からは200メートルに専念した。三段跳びの日本記録保持者でもある訓史さんは「自分の走りを見つけたことはすごいこと。地道に努力を重ねていったのでうれしい」と五輪出場を決めた息子をたたえた。その上で「選ばれて満足するのではなく、五輪で自分の力を出し切ってほしい」と活躍を期待した。

 山内、父と挫折越えて

 山内大夢はともに学生陸上で活躍した両親の元で育ち、競技に打ち込んできた。高校時代に挫折も味わったが、父とともに、そして大学でその才能を開花させた。

 山内が本格的に400メートル障害を始めたのは、父淳一さんが監督を務めていた会津高陸上部に入ってからだ。最初からずば抜けた存在だったわけではなく、1年夏の県大会は決勝にも進めなかった。1年秋からは腰痛に苦しみ、半年ほど満足に練習できなかった。前向きな性格の山内もこの時ばかりは涙を流して悔しがった。

 しかし、その苦しみの先に飛躍が待っていた。ようやく練習に復帰した2年の春以降はタイムが伸び始め、夏のインターハイで準決勝に進出。3年時のインターハイでは2位に輝いた。

 早大進学後も進化を続け、5月の五輪テスト大会で参加標準記録を突破した。息子の成長を見続けてきた淳一さんは「2カ月前までは、五輪出場なんて考えられなかった」と話す。それだけに「この2カ月は長かった。出場が決まって良かった」とほっとした様子だった。初の五輪に挑む山内は「とてもワクワクした気持ちが強い。応援してくれる方に元気を与えられる走りをしたい」と本番を見据える。

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