双葉再生へ思い一つ 町内で役場業務開始、職員ら決意新たに

 
(写真上)業務再開した新庁舎で打ち合わせする宮津さん(右)と平岩副町長(写真下)職員を前に訓示する伊沢町長(右)

 東京電力福島第1原発事故による全町避難を経て、5日から町内での業務を再開した双葉町役場では、職員らが町の復興再生に向けて働く姿があった。自らも被災する中で苦難を乗り越えてきた職員がいれば、震災後に入庁して町を支えてきた職員もいる。「新しいまちづくりを進めたい」。今日までの歩みは違っていても、彼らはその一つの思いを共有し、双葉の地で新たな一歩を踏み出した。

 「2011年3月12日に双葉町を離れてきょう、戻って参りました」。5日朝の朝礼で、平岩邦弘副町長(60)は穏やかながらも万感の思いを込めてあいさつした。平岩さんは原発事故当時、町企画課の原子力対策係長を務めていた。震災が発生してから、刻々と変化していく第1原発の状況を東電から聞き取る役割だった。

 事故の深刻化に伴い、役場機能は11年3月12日に川俣町に避難し、埼玉県のさいたまスーパーアリーナ、同県加須市の旧騎西高と流転した。いわき市に役場機能を移したのは13年6月17日で、その全ての移動に職員として立ち会った。今年4月からは副町長として伊沢史朗町長(64)を支える。役場帰還の日、平岩さんは「新しい町になるけど、昔の双葉の良さも残していきたいよね」と胸の内を語った。

 平岩さんの日程管理などを担当するのは、秘書広報課の宮津健さん(31)だ。宮津さんはかつて、故郷の富山県の黒部市役所に勤めていた。18年4月から1年間、応援職員として双葉町役場に勤務した。縁もゆかりもなかった双葉町だったが、避難先で諦めずに町の再生を目指す同僚職員の姿が強く心に刻まれた。

 黒部市役所に戻っても「双葉のまちづくりに関わりたい。自分は1年間で貢献できなかった」との思いが消えなかった。ついに市役所を辞職し、双葉町の採用試験を受けて21年4月に入庁した。「自分は元々の町民ではないけど、移住して来る方への支援、力になることができるのではないか」と決意を新たにする。

 避難指示解除からわずかで、街並みなどに大きな変化は見えない。しかし、自家用車やJR常磐線で出勤した町職員が、歩いて役場に入る風景は戻ってきた。伊沢町長は、それを町長室の窓から見ていた。報道陣の取材に「何だか不思議な感じがした。この景色が普通になっていくことが大切なんだ」と、しみじみと語った。