伝統の田植踊、浪江に継承 津島で15年半ぶり復活へ

 
南津島の田植踊の練習に励む会員や学生たち=26日午後、浪江町津島地区

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で存続の危機にあった浪江町津島地区の伝統芸能「南津島の田植踊」が10月22日、約15年半ぶりに津島地区で復活する。津島地区で最後に披露されたのは、震災前の2008年2月だった。南津島郷土芸術保存会は26日、地元で震災後初めて練習会を開き、会員たちが伝統の継承を手伝う東北学院大(仙台市)の学生と二人三脚で踊りを確認した。

 南津島の田植踊は、住民が激減した江戸時代の「天明の飢饉(ききん)」後に盛んになり、約200年前から伝わる。例年2月、祝い事などがある家々を回り、五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災などを願って踊られてきた。

 伝統の継承には地元出身の女子大学生の熱意が後押しした。「震災後、津島の人たちに会える機会が田植踊だった。古里の伝統を残していきたい」。東北学院大文学部歴史学科3年の今野実永(みのぶ)さん(21)は思いを語る。

 今野さんは18年、中学3年生の時に田植踊を始めた。踊り手は伝統的に男性と決まっていたが、三瓶専次郎会長(74)の誘いもあり、女性の踊り手となった。

 しかし、原発事故で各地に離散した住民だけでの存続は難しい。そこで同大の金子祥之准教授(38)の民俗学の講義の一環で、受講する学生約30人も踊り手や裏方として伝統をつないでいくことが決まり、昨春から練習を重ねている。

 津島地区は原発事故で全域が帰還困難区域となったが、一部地域について特定復興再生拠点区域(復興拠点)として3月末に避難指示が解除された。三瓶会長は「女性や津島以外の人が踊りに参加することに当初は迷いもあった。それでも、津島で田植踊ができることは、津島が再生していくための足掛かりだ」と期待する。今野さんは「お世話になっている津島の人たちに恩返ししたい」と話した。(渡辺晃平)

 10月22日、標葉祭りで披露

 南津島の田植踊は、浪江青年会議所(JC)が10月22日に旧津島中で開く「標葉(しねは)祭り」で披露される。午後2時50分からの予定。標葉祭りは標葉地域(浪江町、双葉町、大熊町、葛尾村)の魅力をPRする秋の恒例イベントとして今年は10月21、22の両日に開かれる。