【検証・コミュニティー再生】双葉 保ちたい「古里」との接点

 
避難指示の解除後に町民がまとまって生活するためJR双葉駅西側(写真左手)で居住エリアの造成が進む。帰還した町民の新たなコミュニティーづくりや避難を続ける人のつながりの維持が課題となる=双葉町長塚

 「避難先での生活は古里での暮らしとは違う。何より双葉の人同士が毎日顔を合わせることが難しい」。東京電力福島第1原発事故でいわき市に避難した双葉町民でつくる「いわき・まごころ双葉会」の前会長、石田翼(77)は避難生活でコミュニティーを維持する難しさを語る。

 双葉町民が県内外に散り散りとなって間もなく、避難先での孤立や町民同士の結び付きの維持が課題となった。多くの町民が避難した地域では町民主導で自治会づくりが進められた。2013(平成25)年1月に発足したいわき・まごころ双葉会もその一つだ。

 現在の会員数は約115世帯。例会や日帰り旅行、いわき市に場所を移して継続されてきた町の行事「双葉町ダルマ市」への参加などの活動を続けてきた。石田は、クリスマス前の例会に参加できない会員がいると、シクラメンを持って避難先を訪ね、絆づくりに努めてきた。

長い月日、揺れる心境 ただ、石田は震災から10年という月日が、再び町民の生活を変えたと感じている。地域や職場などさまざまなコミュニティーに属することで、人間関係の軸足が双葉町からいわき市に移った人がいる。一方、高齢化で自治会の活動に参加できなくなり、つながりを求めながらも退会を選ばざるを得ない人も出てきた。

 町と復興庁などが昨年度行った住民意向調査では、8割を超える人が町への帰還について「まだ判断がつかない」「戻らないと決めている」と答えた。ただ、その人たちの6割強が「町とのつながりを保ちたい」と望んでおり、古里と避難先との間で揺れる複雑な心境が浮かび上がった。

 「いわきの人には本当に親切にしてもらい助かっているが、双葉の人間であることは忘れられない」。石田は改めて、この思いに至った。双葉町では来年春ごろを目標に特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除される見通しだ。

 石田は、子や孫が住むいわきと古里の双葉を行き来する生活をしようと考えている。ようやく訪れる帰郷の時。しかし、考えてしまうときがある。「帰りたいけど帰れないという町民が孤立してはしまわないか」

 つながりを築くことは難しいが、壊れるのは簡単だ。「双葉とつながっていたい」と思う人との関係をどのように維持していくのか。町議会の質疑で、町長の伊沢史朗(63)は「避難者同士の交流や文化継承、町内のにぎわい形成などを支援し、つながり確保に積極的に取り組みたい」と述べた。

 帰還した双葉と避難先の町民を結ぶ新たなコミュニティーづくり。マニュアルも正解もないその道のりを、手探りで歩み続ける。(文中敬称略)

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 双葉町民の避難先での自治会 本年度は県北ふたば会、町県中地区自治会、町県南双樹会、いわき・まごころ双葉会、双萩(そうしゅう)会、町つくば自治会、町埼玉自治会の七つが活動している。町が町外拠点に位置付ける、いわき市勿来町の復興公営住宅「勿来酒井団地」にも自治会があり、団地に入居する双葉町以外の避難者やいわき市民も加入している。10年余りに及ぶ避難生活の中では、仮設住宅にも自治会がつくられたが、仮設住宅の解消とともに解散した。