【建物語】末廣酒造嘉永蔵・会津若松市 まるで会津の守り神

 
創業約170年の末廣酒造嘉永蔵。見学コースでは古くからの酒造りの工程が学べる(吉田義広撮影)

 歴史に彩られた町並みが残る会津若松市七日町。七日町駅につながる通りから2区画ほど歩を進めると、ひときわ存在感を放つ建物が現れる。1850(嘉永3)年創業の末廣酒造嘉永蔵。会津の栄枯盛衰を見守ってきたこの蔵には酒の神様がすみ、至極の一滴を生み出している。

 始まりは新城猪之吉商店。会津藩の御用酒蔵だった新城家から分家独立した初代・新城猪之吉が創業した。当初は日本酒のほかに漆器や秤(はかり)を扱っており、戦後に日本酒に特化したことを機に屋号が末廣酒造となった。

気持ちくむ小窓

 嘉永蔵は、住居として使われていた主屋や蔵などで構成される。壱、三、四、五号蔵、新蔵のほか、レンガ煙突やレンガ塀、正面門などが国の登録有形文化財になっている。明治後期には地域の約180戸が焼けた大火の被害に遭い大部分が焼失したが、その後に再建された。大火前の1892(明治25)年7月の建設時に一番新しかったため名付けられた「新蔵」は火災の被害を免れ、現存する蔵では一番古い。

 重厚な木造建築の主屋と隣に並ぶ白壁の蔵。どの建物にも鬼瓦が備え付けられている。蔵が造られた時期はそれぞれ異なり、会津本郷焼で仕立てられた瓦もその都度、窯元が選ばれた。このため、鬼瓦も違った表情を見せている。

 正面の門をくぐると、背あぶり山の伏流水が湧き出る仕込み水の音に迎えられる。近所の人たちが数本のペットボトルを持ち込んで水をくむ様子は日常に溶け込んでいる。そしてそのすぐ脇、やや低めの位置に今は使われていない小窓が一つ。日本酒の量り売りをしていたころに受け渡しに使われた、かつての売り場だ。

 1升が日当3日分と言われたころ、客は1升分が入る大きな徳利(とっくり)を持ちながらも、購入するのは財布の中身が許すだけだった。客の中には「これしか買えない」という恥じらう気持ちを持っていた人も少なくなかった。窓が低い場所に付けられたのは、そういった気持ちをくんで、客が顔を見せることなく売買できるようにする配慮だった。こういった売り場の小窓が残っているのは全国的にも珍しいそうだ。7代目の新城猪之吉社長(71)によると、先代が国内の名だたる酒造会社に手紙を送って確認したところ、どこにも現存していなかった。

温かく威風堂々

 建物に入ると、3階まで吹き抜けとなっているホールに圧倒される。見学者の案内などを担当する徳永美雪さん(58)は「タイムスリップした感じというんですかね。歴史を感じつつ、親しみや温かみがあるのだと思います」と説明する。ここに入ってすぐに驚きの声を上げる見学者も多いという。

 今は事務所や作業場として使われているが、過去には新城家のほか、杜氏(とうじ)やお手伝いさんたちも住み込みで働き、多い時には5家族ほどが生活していたという。それでも余るほどの広大な建物。木目一つ一つが息をしているようなぬくもりに包まれ、それでいて威風堂々としたその姿は、まるで地域の守り神のようだ。

 歴史的建築物の保存は金銭面を含めた苦労がつきまとうが、新城社長はさらりと語る。「ここに生まれた者の定め。先祖が残した文化遺産を次世代にどう継いでいくか。年を取ってくると自分が守らなければならないものが自然と分かってくるからね」(阿部裕樹)

末廣酒造嘉永蔵の地図

 末廣酒造嘉永蔵 毎月第2水曜日と1月1日、12月31日以外、見学者を受け入れている(無料)。建物内には土産物や名産品などをそろえたショップ、仕込み水でいれたコーヒーや大吟醸を使ったケーキなどを扱う蔵喫茶「杏」(水曜日定休)がある。末廣酒造は会津美里町の「博士蔵」でも日本酒を造っている。嘉永蔵の営業時間は午前9時~午後5時。電話は0242・27・0002。

          ◇

NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。