【建物語】郡山市久米正雄記念館・郡山市 鎌倉文士を集った邸宅

 
玄関を入るとすぐ右側にある応接室。華麗な「鎌倉文士」の生活を垣間見ることができる

和洋折衷の造り

 開成山公園そばにある「こおりやま文学の森資料館」の敷地に、正面が白壁の洋風、裏側は純和風という和洋折衷の造りをした一軒家が立つ。芥川龍之介、菊池寛らと第3次「新思潮」を創刊し、小説家、俳人など多彩な才能を発揮した久米正雄(1891~1952年)の邸宅だ。建築から90年以上たつが、多くの文豪が集った邸宅は今も存在感を放っている。

 邸宅は1930(昭和5)年、現在の神奈川県鎌倉市二階堂に建てられ、久米が作家生活の後半を過ごした。2000年にゆかりのある郡山市に「久米正雄記念館」として移築復元。今では珍しい、ゆがんだ窓ガラスや上げ下げ窓などは当時のまま。門構えの石柱にはめられた表札も現役で、かすれた「久米」の文字が当時を物語る。天井や洋室の板間、階段のほか庭木も移設された。移築作業に携わった同市の建築業近内益一さん(75)は「どの部屋も状態が良く、70年もたっているとは思えなかった。家が愛されていた証拠」と語る。

 長野県で生まれた久米は、6歳の時に、母親の実家がある安積郡桑野村開成山に移り住んだ。安積中(現安積高)を卒業後、第一高等学校(現東大)に入学、芥川や菊池らと共に文学の才を磨き、作家デビュー。自他ともに認める「文壇の社交家」はさまざまな活動に取り組んだ。二階堂に転居してからは川端康成や大仏次郎らと共に「鎌倉ペンクラブ」を結成、鎌倉町議も務めた。久米は自身を「一体私は友人を欲しがる性質の人間だ。絶対に孤独でいるなどということはできない男である」と語った。それを裏付けるように、邸宅には人を招くことが好きだった久米のこだわりが垣間見える。

客間で毎月句会

 同館の小林和文館長(62)の案内でポーチをくぐると、すぐに洋風の応接間。板間にはカーペットが敷かれ、ソファなどの応接セットが並ぶ。花柄の壁には芸術好きな久米が集めた絵画が飾られ、華麗な「鎌倉文士」の生活がうかがえる。ここで久米と客人たちはどのような話をしていたのだろうと想像が膨らむ。奥に進むと、畳敷きの客間がある。当時の久米邸は、久米の俳号「三汀」にちなみ「三汀居」と呼ばれ、客間では毎月、鎌倉文士らが集う句会が開かれた。戦時下で作家たちの活動の場が失われつつあった時は、文学の歴史をつなぐ貴重な場にもなった。

 「まあ、あがりたまえ」が口癖だった久米。常に来訪者でにぎわった邸宅には、ユニークな仕掛けも。来客数を知らせる掲示板だ。玄関を入り書生室にあるボタンを押すと、別室にある掲示板のランプが光り人数が分かる仕組みで、必要なお茶の数を伝えた。客人へのもてなしを忘れない久米の粋な計らいだったのだろう。「久米あるところに人あり」。そういわれるように、久米は常に人の集まる中心にいた。そして現在も久米邸には、文学を愛する人たちが訪れる。小林館長は「久米は人とのつながりを大切にした。作品だけではなく、多くの友人らが集った邸宅も、久米を知る一部として長く残していってほしい」と願う。

 2階に上がると、久米の書斎がある。大きな窓から光が差し、眺めも良いこの部屋で、久米は数々の作品を生み出した。机に向かっていた姿を想像して畳の上に座ってみる。久米はこの窓からどんな景色を眺めていたのだろう。静かな時間が流れる中、文豪の人生にふと思いをはせた。(千葉あすか)

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 こおりやま文学の森資料館 久米正雄記念館と郡山市文学資料館が同じ敷地にある。資料館には久米正雄のほか、宮本百合子や高山樗牛など郡山ゆかりの文学者らの資料が並ぶ。住所は同市豊田町3の5。利用は午前10時~午後5時。毎週月曜日休館。入館料一般200円(団体150円)、高校・大学生100円(同70円)、中学生以下と65歳以上、障害者手帳のある人は無料。問い合わせは同館(電話024・991・7610)へ。

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NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。