【建物語】相馬井戸端長屋・相馬市 少し不便、だからいい

 
2棟が並び立つ相馬井戸端長屋。簡素なたたずまいだが、城下町としての誇りも感じられる(永山能久撮影)

 里山に囲まれた馬場野山田団地(相馬市)に、高齢者用集合住宅「相馬井戸端長屋」が立つ。ここでは、東日本大震災で被災した高齢者たちが肩を寄せ合い暮らしてきた。

 先人の心息づく

 あの日の大きな揺れと津波は、多くの高齢者の家族や住み慣れた家を奪った。避難所から仮設住宅へ移り、生活再建が進む中、市が懸念したのは高齢被災者の孤立化だった。

 1995(平成7)年の阪神・淡路大震災では、公営住宅入居後に起きた単身高齢者の孤独死が社会問題になった。過去の教訓を踏まえ、相馬市は互いに支え合いながら暮らせる高齢者向けの災害公営住宅を構想した。1棟目は市に賛同したダウ・ケミカル社(現ダウ・デュポン社)が建設し、2012年に寄贈された。その後、市が建設を進め、13年までに計5棟が完成した。19年からは震災での被災の有無を問わず、高齢者を受け入れるようになった。

 馬場野山田団地には、1、2号棟が並び立つ。切り妻の屋根で、外壁の腰回りを板張りにした簡素な外観だが、建物には相馬中村藩の城下町としての風情が漂う。同藩は天明、天保の飢饉(ききん)で大きな被害を受けたが、二宮尊徳の教えに基づく「御仕法(ごしほう)」で乗り越えた。長屋の質素な姿は倹約に励み、凶作など災害への備えを怠らなかった先人の精神が、息づいている証しのようでもある。

 玄関の先には、一直線の長い廊下に沿って、入居者が暮らす2DKの個室12戸が並んでいる。共用部分には、軽度の介護が必要になっても暮らせるよう、入浴介助を想定した大浴場や車椅子用トイレがある。長屋の屋根裏には毛布や水などが備蓄されており、災害時には要支援者を受け入れる「福祉避難所」として活用できる。

 2号棟に開設当時から住んでいる大宮シゲ子さん(87)は、震災前に夫を亡くし、市内で1人暮らしをしていた。だが、自宅が地震で住めなくなったため、井戸端長屋に身を落ち着けた。「ここでの暮らしは気に入っている。一人だったら心細い」と語る。現在は2号棟の運営を担う「寮長」を務めている。

 会話生む仕掛け

 大宮さんが案内してくれた「共助スペース」は、長屋を象徴する場所だ。むき出しの太い梁(はり)が古民家のような雰囲気を醸し出している空間では、入所者が集まって食事をしたり、催し物を開いたりする。一角には、共用の洗濯機を置いたランドリーコーナーもある。市建築課の宍戸清樹さん(40)は「これが、コミュニケーションを生み出すための工夫なのです」と話す。

 入居者の部屋には台所も風呂もトイレも備わっているが、洗濯機の置き場だけがない。だから、洗い物の度に部屋を出て、誰かと顔を合わせることになる。その上、洗濯機の数は戸数よりも少ない。話し合い、譲り合いながら使うしかない。

 洗濯機の近くには、畳を敷いた小上がりが設けられている。天気のいい日には、みんなの洗い物が重なることもある。小上がりは、腰を下ろして世間話に花を咲かせる格好の場所だ。江戸時代の長屋には共通の井戸があり、主婦たちにとっておしゃべりを楽しめる社交の場所だった。そんな「井戸端会議」を通じてなじみ合い、見守り合う暮らしこそ、この建物が理想とする生活なのだ。(丹治隆宏)

相馬井戸端長屋の地図

 相馬井戸端長屋 相馬市内の4カ所に計5棟が整備された。1棟当たり10~12戸の個室がある。ボランティアなどの支援を受けながら、高齢者が支え合って暮らす仕組みは、福祉関係や建築界などから広く注目を集めた。2号棟は、優れた公共事業を表彰する全日本建設技術協会「全建賞」(2012年度)を受賞している。問い合わせは市建築課(電話0244・37・2179)へ。

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 NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。