美里で生きる...力になる 松本さん、葛尾は大切でもここが原点

 
「今の私の原点になったこの町のために働きたい」と話す松本さん。間もなく入庁して1年を迎える

 いつの間にか、葛尾で過ごした時間よりも会津での日々の方が長くなった。会津美里町職員の松本奈緒さん(19)は、東京電力福島第1原発事故で葛尾村を離れ、避難生活を経てこの町に移り住んだ。「美里に来て、地域の課題について考えるようになった。新たな自分を育んでくれたこの町に貢献したい」。新天地での経験を糧に、日々職務に当たる。

 震災発生当時、松本さんは葛尾小2年生だった。帰りの会が開かれていた教室は激しく揺れ、日常は一変した。幼なじみの同級生たちはみんな慌てて机の下に入り、自身も不安と恐怖で泣いていた記憶が残る。

 原発事故の数日後から避難生活が始まり、家族で郡山市や柳津町など県内各地のほか親戚のいる兵庫県などを転々とした。わずか1週間で転校したこともある。なかなか友達もできない毎日を過ごし、震災の話をすることが心苦しく、葛尾出身であることを伏せていたこともある。小学3年生の夏に会津若松市に生活拠点を移し、その後進学した会津美里町の大沼高での学びが、松本さんの人生を変えた。

 大沼高では、問題意識を持って地域課題の解決を考える人材育成として、2019年に課題解決型の授業「総合的探究の時間」を導入した。その1期生となった松本さんは、通学で利用し、運行本数が少ないと感じていたJR只見線をテーマに取り上げた。「利用客が増えれば本数の増加につながるはず」と、只見線と町内の観光地を巡るイベントを考案した。

 歴史ある観光名所や特産品など町について知れば知るほど、興味が湧いた。新型コロナウイルスの影響で授業時間が制限されたことからイベント企画の実施まではこぎ着けなかったが「この町のために自分ができることは何か」という思いが芽生えた。授業の中で役場を訪れた際に、親身になって相談に乗ってくれた町職員の姿も目に焼き付いていた。

 子どもに携わる学校事務の道も考えたが、最終的に決めたのは町職員として町のために汗を流すこと。21年4月に入庁し、町民の生活を支え始めて間もなく1年。戸籍を取り扱う業務にもようやく慣れてきた。今の目標は、かつて自分がそうだったように、いつか子どもたちが考えたアイデアを一緒に実現することだ。

 昨年、以前暮らしていた葛尾の家に避難後初めて足を踏み入れた。約10年ぶりの家は、廊下は短く、部屋も小さく感じた。「それだけ成長した証拠。葛尾での思い出ももちろん大切だけど、今の私の原点になったこの町のために働きたい」。会津美里の地にしっかりと足を着けた松本さんは、目標に向かい歩み続ける。(多勢ひかる)

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 【11年間の歩み】東日本大震災後、葛尾村から家族で避難した。郡山、白河の両市や柳津町、兵庫県などを転々とした。2011(平成23)年の夏に会津若松市に生活拠点を移し、18年に会津美里町の大沼高に進学。卒業後は、昨年4月から町役場町民税務課に勤務している。