「大熊のキウイ」僕が守る 関本さん、父の遺志継ぎ千葉で栽培

 
避難先の農園で「大熊のキウイ」を栽培する元樹さん(左)と好一さん=22日、千葉県香取市

 「大熊のキウイ」が1日限定で帰ってくる―。大熊町の果樹農園「フルーツガーデン関本」は11月3日、東京電力福島第1原発事故で休止していた町内の直売所を復活させ、避難先の千葉県香取市の農園で栽培したキウイを販売する。「千葉で作った大熊のキウイをみんなに食べてほしい」。農園5代目の関本元樹さん(22)は、志半ばで他界した父の遺志を継ぎ、故郷の味をよみがえらせる。

 フルーツガーデン関本は大熊町で100年以上続いた老舗で、ナシやキウイなどを生産していた。町内には東日本大震災前に約50軒の果樹農家があり、ナシとキウイは特産品だった。中でも関本家が作る果物はとにかく甘く「切るたびに包丁が水で滴る」ほどみずみずしくて評判だった。

 しかし、原発事故で避難を余儀なくされた。事業再建を目指した元樹さんの父信行さん=享年(55)=は震災後2年間、全国の畑を歩き回り、千葉県北東部の香取市に移ることを決めた。寒暖差のある大熊の気候によく似ていて、日本一のナシの生産地・千葉で実力を試す意味もあった。「場所は変わっても、俺が作れば大熊のナシだ」。手入れが届いていないマイナス状態の畑をゼロに戻すことから始め、土作りや苗木の育成に力を注いだが、2017年8月にがんで亡くなった。

 父の死後、農園では3代目だった祖父好一さん(87)が得意とするキウイの栽培も始まった。当時大学生だった元樹さんは、好一さんの作業を手伝ううちに「農業って楽しいな」と思うようになった。その「手伝い」はやがて農園を継ぐ「覚悟」に変わり、好一さんを師と仰いだ。

 「じいちゃんは座っといてね。分からないときは聞くから」。農園に元樹さんの優しい声が響く。雑草をあえて生やし放題にして良い土壌を保つなど、関本家で代々受け継がれる栽培法を習得。大学を卒業した今春、元樹さんは5代目の園主になった。

 桃栗3年、柿8年、ナシのばか18年―。新天地でのキウイ作りは軌道に乗り始めたが、ナシはもう数年かかる。まずはキウイを町民に届けるため、どうすればいいか。大熊の旧農園には、直売所がまだ残っている。6月に避難指示が解除されたため、東京電力のサポートを受けて今月、直売所を掃除し、1日限りの復活に向けて準備を整えた。千葉の農園では22日、大熊でキウイ栽培に取り組む「おおくまキウイ再生クラブ」の会員らと共に、元樹さんはたわわに実ったキウイを収穫した。

 古里での農園再開は見通せないが、元樹さんは「自分が納得のいくキウイとナシができるまで、千葉で突っ走りたい」と力を込める。今夏、父が植えたナシの木に初めて、小さな実がなった。元樹さんは大熊にある父の墓にその実を供え、異郷での事業継承を誓った。「父が整えてくれた千葉の農園で、祖父の技術を受け継ぐ。大熊産でなくても、僕が作れば大熊の果物です」(渡辺晃平)

 3日パック売り、量り売り

 直売所の復活祭は11月3日正午~午後4時、大熊町下野上字原43の旧農園で開かれる。食べ頃に熟したキウイをパック売り、量り売りする。会場には町の思い出や未来について語り合う場も設ける予定だ。