元東電社員、古里とともに 運命に向き合い、自らの経験語る
渡部キイ子さん 大熊出身
東日本大震災の「被害者」でありながら、原発事故の「加害者」としても生きてきた13年だった。大熊町出身で元東京電力社員の渡部キイ子さん(64)は「これからも元東電社員として原発に近い場所で見守っていたい」と思いながら、復興に向けて一歩ずつ進む古里で交流施設の職員として町民と歩む。
沿岸部にある熊川地区に生まれ、高校卒業後に東電に入社し、自宅から5キロ北にある福島第1原発の事務社員となった。巨大な送電線が東京方面へと延びる様子を見るたびに「日本の経済成長を支えている。首都圏に電気を安定供給する電力マンの一員として、仕事に誇りを感じていた」。しかし入社から30年が過ぎた13年前のあの日、その誇りは奪われた。
震災から半年後、古里に一時帰宅した。生家があった思い出の場所は津波で跡形もなかった。近くに建てたばかりの自宅は無事だったが、原発が一帯に暗い影を落としていた。「私には、どんな感情を持つことが許されるのか」。浜辺に立ち尽くし、静かに泣いた。
東電社員であることを隠すように身を潜めて生きた。「おまえらのせいでこんなことになってしまったんだ」。地元住民から罵声を浴びた時は、体を小さくして謝るしかなかった。でも、ある住民からは「あなたも被災者なのにね」と慰められ、踏みとどまれた。
2019年の夏、東電を定年退職した。避難先だったいわき市で新しい人生を歩む選択肢もあったが、「町民や仲間の近くにいたい」と思った。自らの運命に向き合って生きる覚悟を決めた。大熊へ戻り、大川原地区に新設された交流施設「リンクる大熊」の職員になった。
交流施設は避難先の町民と古里の絆をつなぐ「大熊の玄関口」として役割を担い、渡部さんはそこの窓口に立つ。「あらキイ子さん! 久しぶりじゃない」。町民との交流は、渡部さんの凍った心を次第に解かしていった。
昨年から渡部さんは、被災地の視察に訪れる人々に向けた講話も引き受けるようになった。震災から間もなく13年、町の復興は着実に進む一方で、町民の帰還率は1割にとどまる。その町で渡部さんは自分の経験や町の歩みを伝えている。
「渡部キイ子と申します。大熊町出身で、元東電社員です」。講話前にはそう自己紹介している。「私の話を聞いて、大熊にまた来たいと思ったり、少しでも関心を持ってもらえたりできれば。それが私の役割だと思う」(渡辺晃平)
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