「アジサイ」地域に咲く 須賀川、住民が一丸になるシンボルに
人と人のつながりを強くしたアジサイが、復興への思いもつないできた。東日本大震災で農業用ダムの藤沼湖が決壊し、多くの犠牲者が出た須賀川市長沼地区。震災後、湖底から見つかったアジサイは「奇跡のあじさい」といわれ、別の水害で2度目の「奇跡」も起こした。災害で傷ついても折れることなく育つアジサイに住民は勇気づけられ、自らの姿を重ねている。
「順調に育っている。来年には花が咲くかな」。藤沼湖のほとりで、藤沼湖自然公園復興プロジェクト委員会委員長の深谷武雄さん(79)は今月、笑顔を見せた。見つめる先にあるのは、株分けした長野市から昨秋に「帰郷」したアジサイだ。アジサイは13年間、多くの人の心を支える存在にもなった。
「藤沼湖が抜けた(決壊した)」。2011年3月11日、深谷さんの元に一報が入った。にわかには信じ難い状況だった。濁流はまちを襲い、死者7人が出るなどした。
震災後、住民たちの心に深い溝ができた。家族を亡くした人、家をなくした人、農業を営めない人―。さまざまな事情が複雑に絡み、一つにまとまらない。「これでは本当に長沼がなくなってしまう」。深谷さんは商工会の仲間と共に、地域が一丸となるきっかけを探した。
13年春、震災後誰も近づかなくなった藤沼湖に初めて足を踏み入れると、湖底で200本近いアジサイの枝が土の中から顔をのぞかせていた。それを持ち帰り、土に植え替えると順調に育っていった。その姿が強く、美しく見えた深谷さんたちは復興のシンボルにしようと「奇跡のあじさい」と名付け、復興活動に取り組んだ。
だが、深谷さんたちの活動を批判的に見る人もいた。「家族を亡くした人もいるのに、お祭りのような感覚で活動をしていいのか」。深谷さんにはその気持ちが痛いほど分かった。震災の4年前に長女を亡くしているからだ。しかし「このままでは何も変わらない」と信じ、活動を続けた。
全国に株分け記憶をつなぐ
育てたアジサイは「支援の恩返し」として全国に株分けした。そのうち、長野市で育てられたアジサイは19年の東日本台風で市内を流れる千曲川が決壊した際も流されずに残った。16年の熊本地震では地元の長沼地区の中学生らが自発的に被災地へアジサイを送るなど、若い世代にも震災の記憶をつなぐ存在となった。
アジサイは現在、須賀川市滝の慰霊碑の周りにも植えられている。「これからも藤沼湖を起点に多くのつながりが生まれるような活動をしていきたい」。深谷さんはアジサイとともに歩んでいく。
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