希望の出会い、笑顔になれた 県追悼祈念式、遺族代表・鍋島さん

 
祭壇の前で遺族代表の言葉を述べる鍋島さん=11日午後3時10分ごろ、福島市(代表撮影)

 あの日の出来事を忘れない―。東日本大震災から13年となる11日、県内各地で犠牲になった人への祈りがささげられた。県民らは亡き人に手を合わせ、前を向いて歩んでいくことを誓い合った。

 「たくさんの友人や家族の支えがあり、私はここに立っている」。福島市で行われた県主催の東日本大震災追悼復興祈念式で、遺族代表として登壇した東京都の専門学校生鍋島悠輔さん(20)=浪江町出身。祭壇の前で言葉にしたのは、津波で母ら3人を失い、父の行方が今も分からない中で感じた周囲への感謝の思いだった。

 鍋島さんは津波で母弥生さん=当時(43)、祖父鈴木澄夫さん=同(74)、祖母照美さん=同(67)=を亡くした。父彰教(あきのり)さん=同(46)=の行方は今も分かっていない。

 鍋島さんは震災当時、同町の請戸小1年生。父とサッカーで遊び、母はおいしいパンを焼いてくれたのを覚えている。5歳年上の姉と4人で暮らし、祖父母も近くに住んでいた。

 地震発生時、鍋島さんは小学校近くの学童保育施設にいた。無事に避難所へたどり着いたが、両親と祖父母には会えないまま。姉と一緒に神奈川県平塚市の親族宅に移った。

 数日がたち、母と祖父母が亡くなったことを知った。「いつか戻ってくる」。そんな期待はかなわなかった。

 ある日、両親が目の前に現れた。「迎えに来たよ」。鍋島さんは泣きながら駆け寄ったところで、目を覚ました。「なんだ、夢か」。13年を経てもなお、ぬくもりは鮮明に覚えている。

 英会話教室の研修旅行で英国を訪ね、各国の子どもたちの前で米国の音楽グループの曲を歌うと、会場は大いに沸いた。好きな音楽にのめり込むきっかけになった。現在は都内で音楽の専門学校に通い、ギターなどの加工や修理技術の習得を目指している。

 震災を経て「人と関わることの大切さ」を学んだ。育ててくれた平塚市の親族、受け入れてくれた友達―。皆のおかげで今がある。

 鍋島さんは遺族代表として、祭壇の前で感謝と決意を力強く述べた。大役を終えると、晴れやかな表情で4人への思いを口にした。「僕は周りの人に恵まれている。今を本当に楽しんでいるよ」