「この海でこの船とこれからも」 石井さん、脳裏にあの日の光景

 
「この海で生きていく」と語る石井さん=富岡町

 「この海で生きていく」。富岡町の富岡漁港で、釣り船「長栄丸」の船長石井宏和さん(47)は海を見つめた。毎年3月11日は祖父と長女の墓参りをし、午後2時46分に海に向かって手を合わせる。「13年という月日はあっという間だね」。石井さんの脳裏にあの日の光景が浮かんでくる。

 祖父の代から続く漁業一家に生まれ、震災前から釣り船業を営んでいた。震災後、津波で海に近い自宅は流され、祖父を亡くした。1歳だった長女の行方は今も分かっていない。自身は漁港で地震に遭い、家族の安否を確認後、船を守るため沖に出た。船上で家族の無事を祈るしかなかった。

 一時は海に関わることが嫌になり、船から遠ざかった。だが海のがれき撤去作業などで船の操舵席にいると心が安らいだ。「海で生きていく」と決意を固め、2017年に避難先のいわき市で釣り船業を再開。19年に富岡漁港に戻った。今では人気の釣り船として定着した。

 本県の漁業は東京電力福島第1原発事故に伴う風評などに悩まされてきた。富岡漁港は第1原発と第2原発の間に所在する。「福島の海の安全性は科学的にはっきりしている。それに、ここで仕事を続けることが何よりのアピールになる」と語気を強める。

 津波で暮らしは一変した。それでも「今後も海と向き合い、漁業者として富岡漁港で仕事をしていく。福島の魚や漁港の魅力を発信し、町の復興に貢献していきたい」。石井さんは目の前に広がる太平洋に誓った。