回想の戦後70年 食編- (7)酪王カフェオレ

 

酪農家でもある大竹社長は、古殿町の自身の牛舎で「酪王カフェオレが私たちを引っ張ってくれた。社員の誇り」と話す

  「...そんなことより酪王カフェオレおいしい」

 東日本大震災後、こんなつぶやきがツイッターでインターネット上を駆けめぐった。「福島への過剰な忌避や差別、デマに私がぶち切れ、そういったツイッターのつぶやきに、片っ端から『そんなことより酪王カフェオレおいしい』とつぶやき返したのが始まりです」。東京都の漫画家わこさんこと内村恵子さん(32)は振り返る。

 「酪王カフェオレ」は酪王乳業(郡山市)が製造販売している乳飲料だ。2011(平成23)年5月、内村さんのつぶやきに賛同するツイッター利用者らが「福島酪王カフェオレの会」を結成。内村さんが会長を務め、酪王カフェオレについてツイッターで情報交換したり、愚痴をつぶやいては「でもそんなことより酪王カフェオレおいしい」とつづって交流を深めた。

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 「震災前からファンクラブはあったが、特に震災後、ネット上で福島を否定、攻撃する声にファンの皆さんが立ち向かってくれた」と酪王乳業専務の鈴木伸洋さん(56)、取締役経営管理部長の渡辺隆行さん(58)は口をそろえる。「風評被害が逆に作用し、カフェオレが皆さんを一致団結させるきっかけになったようだ」

 同社は県内の酪農家が集った県酪農業協同組合(県酪農協)の乳業部を分社独立、07年に設立された。現在の社長は、自身も古殿町で酪農を営む大竹芳雄さん(67)。前身の県酪農販売農業協同組合連合会(県酪連)の郡山工場が1975(昭和50)年に新設され、全国公募で「酪王」のブランド名も決まって「酪王牛乳」が誕生。翌76年から「酪王カフェオレ」の製造販売も始まった。

 76年は、7月に大規模汚職ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕。8月には「福島版ロッキード事件」とも呼ばれた県政汚職事件で当時の木村守江知事が逮捕されるなど、国政、県政ともに大きく揺らいでいた。一方、戦後生まれの世代が親になり、友達のような夫婦関係の「ニューファミリー」が増えていく。テレビ番組「徹子の部屋」や漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」など長寿番組・作品も始まっている。酪王カフェオレも、その一つになった。

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 同社が学校給食に牛乳を納品するのは郡山市のほか会津若松市や県南など広域で、県内シェアも約36%と大きい。酪王牛乳を飲んで育った県民にはカフェオレも身近な飲み物だ。「県外に進学や就職し、古里を離れて初めて地元の味に気付くと聞きます」と鈴木さんは話す。

 首都圏では今、一部コンビニや駅のミルクスタンドなどで購入できる。福島第1原発での下請け作業員の日々をルポ漫画「いちえふ」に描いた漫画家竜田一人さんは、漫画の中でこのカフェオレを紹介。芸能界ではサンドウィッチマンの伊達みきおさん、たんぽぽの白鳥久美子さん(郡山市出身)らも「好き」と公言し、ファンが多い。

 原発事故で深刻な打撃を受けた県内酪農業と県産乳飲料。それでも福島を、酪王を応援してくれた首都圏のファンに感謝の気持ちを表そうと13年、東京・秋葉原でファンの集いが開かれ、約200人が集まった。今年6月の開催では約250人に増え、カフェオレ無料試飲やじゃんけん大会、「ききカフェオレ」で盛り上がった。

 集いに参加してファン同士の交流を目の当たりにした大竹社長は「震災後もカフェオレの販売は落ちずに私たちを引っ張ってくれ、勇気づけられた。長年の積み重ねによる製品で、社員の誇り」と、カフェオレがつないだ絆の強さをかみしめた。

 「震災がなくても、口コミで首都圏や全国に広まったはず」と内村さんはその魅力に太鼓判を押す。本県が元来持っている豊かな風土や食べ物への愛情。戦後70年の不屈の歩みの中で築き上げた農業や処理加工の技術。それらへの自信を忘れずにいるべきだと、本県の食のファンたちは背中を押している。

 酪王カフェオレ 砂糖で味付けしたコーヒー牛乳が主流だった時代に、カフェオレの先駆けとして1976(昭和51)年に登場。乳業メーカーらしく生乳を50%以上と通常より多く使い、こくのある生乳と香り高いコーヒーの絶妙なバランスで人気を集めている。コーヒーの割合が大きい「ハイ・カフェオレ」、国産イチゴとちおとめとのブレンド「いちごオレ」もある。27日には郡山市の同社工場で恒例「酪王まつり」が開かれ、カフェオレや牛乳の試飲など多彩なイベントが繰り広げられる。

*連載「回想の戦後70年」は今回でおわります。