【建物語】旧亀岡家住宅・伊達市 紡ぎ結ぶ万年の幸福

 
桑折町から伊達市保原町に移築復元された「旧亀岡家住宅」。洋館正面の八角形の塔屋や2本のランタン塔など屋根や玄関周りに洋風が強く感じられる(ドローン撮影)

 伊達市保原町の市保原総合公園の一角に、独特の雰囲気をまとった国指定重要文化財の洋館がそびえる。2本の角のように見えるランタン塔と赤瓦の屋根、正面中央には外側に張り出した塔屋が目を引き、まるで小説の舞台に登場するような威風を感じる。

 3人の個性形に

 木造擬洋風建築の「旧亀岡家住宅」は、1904(明治37)年ごろ、桑折町伊達崎字小和助の約4600平方メートルもの広大な敷地に座敷・居住棟の洋館が建てられた。86年に解体後、95年に現在の地に主屋だった洋館のみが移築復元された。「私が嫁いだ時には30人近くの従業員や家族が寝泊まりする大所帯の屋敷でした。屋敷の目の前にはリンゴ畑が広がっていました」。洋館が元々あった場所のそばに暮らす桑折町の亀岡次子さん(93)が当時の思い出を教えてくれた。洋館は次子さんの夫の祖父に当たる正元によって建てられた。

 正元は1861年、国見町西大枝の小林家の次男に生まれた。76年にカイコの卵「蚕種(さんしゅ)」を製造する「亀源」で知られた亀岡本家(源四郎家)の分家・亀岡金太郎の長女せいの婿養子となり、家業の蚕種製造や農業を中心に営み、村や郡、県会の議員も務めた。亀岡家はその後、紡績業で発展した。

 次子さんは21歳の時に仙台市から亀岡家に嫁いだ。洋館で過ごした日々について「夫と生活したのは、わずか6畳の3階展望室だったことを今でも覚えている。大切な思い出が残る屋敷だった」と懐かしそうに振り返る。

 洋館は明治初期に、正元が新婚旅行で訪れた奈良、京都、長崎など各地で見学した洋風建築を基に建築計画を進めたとされる。福島市・飯坂温泉にある「なかむらや旅館」のらせん状階段に感銘を受けた正元は、手掛けた宮大工の小笠原国太郎に建築を依頼。また、設計は「県内初の県会議事堂の設計技師」と口承され、正元が県議時代に交流があったとされる県の技術職員江川三郎八が設計したという。

 モダンな洋風の外観に対し、内部は純和風の座敷で、洋間は1室だけ。廊下と間仕切りは障子の代わりにイタリアから輸入した手作りガラス戸を使い、ケヤキや秋田産杉、紫檀(したん)、黒柿、阿武隈川の埋もれ木など貴重な木材がふんだんに使われている。名字の亀岡にちなみ、床の間には亀の彫刻、居間書院には亀甲模様の格子を施すなど、随所にこだわりがあふれている。「(正元、小笠原、江川の)3人の個性がぶつかり合った末にできた特殊な建築であり、傑作だ」。伊達市保原歴史文化資料館の学芸員高橋信一さん(66)はこう表現する。

 結婚式場の役割

 明治鹿鳴館時代のおもかげを残した洋館は戦後、紡績工場としても使われた後に結婚式場「かめおか」となった。披露宴会場をはじめ会合の場として洋館は地域に根付いた。「2階の廊下がバージンロードでした」。46年前にここで式を挙げたという伊達市梁川町の女性(66)はうれしそうにその時を思い出す。女性によると、自宅で式や披露宴をするのが一般的だった当時、式場は先駆け的な存在だったという。

 今年10月に行われた伊達市の成人式。振り袖姿の新成人たちが、地域のシンボルに定着した洋館と一緒に笑顔で写真に納まる光景が広がった。洋館が立つ場所は時代とともに変わったが、これからも地域に愛される存在であり続けるのだろう。(石井裕貴、写真も)

旧亀岡家住宅

 旧亀岡家住宅 蚕種(さんしゅ)製造家の亀岡正元が明治時代に建てた豪華な住宅で、後に洋館を一部改装して結婚式場にもなった。1985(昭和60)年には正元のひ孫、故阿部正子さんから旧保原町(現伊達市)に寄贈され、現在の場所に移築復元された。開館時間は午前9時~午後5時。観覧料は大人210円、小・中学・高校生100円。問い合わせは伊達市保原歴史文化資料館(電話024・575・1615)へ。

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 NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。