会津高合唱部「前へ向かう」思い届け 福島県追悼祈念式

 
鎮魂の祈りを込めた力強い歌声を響かせる会津高の生徒(代表撮影)

 福島市で行われた県主催の東日本大震災追悼復興祈念式には、222人が参列し、震災と原発事故の犠牲者を追悼しながら、本県の復興・再生への決意を新たにした。次代を担う高校生も登壇、献唱をささげるとともに「記憶と希望を未来につなげていく」と誓った。

 「聴いてくださった方々だけではなく、亡くなられた方々の魂の元に届くように」。会津高合唱部員の25人は、未曽有の大災害で命を落とした犠牲者への「献唱」に強い思いを持って臨んだ。鎮魂の祈りと復興への希望を乗せた歌声は、力強くも優しいハーモニーとなって会場を包み込んだ。

 この日披露したのは「あいたくて」と、福島市在住の詩人和合亮一さんが震災後に作詞した「夜明けから日暮れまで」の2曲。副部長の佐藤文香さん(2年)は「どちらの曲も人と人とのつながりや、命のつながりが込められている」と選曲の意図を説明する。

 全日本合唱コンクール全国大会で2位に輝く実力校ではあるが、東日本大震災追悼復興祈念式での献唱は初の経験だった。昨年12月中旬から練習を始め、本県にとって特別な日になる「3・11」にステージに立つ意味や歌詞に込められた思いを追求してきた。約10分間のステージを終え、北見真彩(まい)さん(2年)は「亡くなった人の思いをつなぐ大切さを感じた」とし、「生きていられることに感謝する気持ちが湧いてきた」と話す。部長の宮森結川(ゆいか)さん(2年)は心の内を明かした。「(歌った曲には)前向きに進むという意味も込められている。この思い、被災された方に届けばいいな」

 遺族代表・高田求幸さん「常に防災意識を」

 「宥子(ゆうこ)を捜すこともできず、避難することになった私の気持ちは、言葉では表せません」。東日本大震災追悼復興祈念式に遺族代表として参列した高田求幸(もとゆき)さん(83)=南相馬市原町区=は、津波の犠牲になった義妹高田宥子さん=当時(69)=を最後まで捜してやれなかったという、11年間抱え続けてきた悔恨の思いを切々と語った。

 震災発生の翌朝、高田さんは弟と共に宥子さんを捜したが、がれきの山と津波の水たまりに捜索を阻まれるうち、東京電力福島第1原発事故によって避難を余儀なくされた。震災から10日ほど後、宥子さんは遺体で見つかった。高田さんは宥子さんだけでなく親族10人を津波で亡くしている。

 「身内がそこに横たわっているにもかかわらず、救うこともできずに避難しなくちゃならないという...そういう方々のことを思うと...」。式後、取材に応じた高田さんは、自身と同様にやり切れなさを抱えたまま避難を強いられた多くの人たちに思いを巡らせ、言葉を詰まらせた。

 今は、東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)の語り部として震災の教訓を伝えている。悔恨の思いを抱えてきた遺族の一人として特に強く訴えているのは「防災意識」の大切さだ。

 「災害時、家族と一緒とは限りません。その時自分はどのように行動すべきか、家族一人一人がどのように行動すべきか、常に防災意識を持って生活することが大切だと思います」。遺族代表としての言葉に、教訓を後世につないでいこうという、決意がにじんでいた。