【日新館天文台跡】 日本最古、現存の天文台跡

 
暦作りのために建てられた日新館天文台跡

 会津(あいづ)の天文学を支(ささ)えた日新館天文台跡(あと)は会津若松市(わかまつし)米代にひっそりと立っています。天文台跡は高さ6.5メートルあり、天体観測場(てんたいかんそくじょう)として利用されてきました。天文台跡は1803(享和(きょうわ)3)年、会津藩校(はんこう)日新館の完成とほぼ同時に建(た)てられました。

 会津では、初代会津藩主保科正之(ほしなまさゆき)が暦学者(れきがくしゃ)渋川春海に暦(こよみ)作りを命じたため、天文学が盛(さか)んでした。江戸(えど)時代の武士の子どもが学んでいた朱子学(しゅしがく)という学問では、宇宙(うちゅう)や星などについて学ぶのが必要だと考えられ、日新館でも天文学を取り入れた授業(じゅぎょう)を行って生徒を育成しました。

 天文台は弘前(ひろさき)(青森県)、水戸(みと)藩(茨城(いばらき)県)、薩摩(さつま)藩(鹿児島(かごしま)県)などの藩校でも建てられましたが、暦作りが終わると壊(こわ)されたため、跡が残っているのは日新館天文台跡以外にありません。日本で唯一(ゆいいつ)の貴重(きちょう)なもので現存(げんぞん)する日本最古の天文台跡です。現在(げんざい)の天文台跡には1935(昭和10)年に当時の土地の所有者によって建てられたほこらも残っています。

 市は、天文台保護(ほご)のため2017(平成29)年に発足した日新館天文台跡保護推進(すいしん)プロジェクトと協力し天文台跡の価値(かち)を市民に伝え、後世に残そうと活動しています。まずは日本天文学会への登録が目標です。

 【どこで?】日新館天文台跡(あと) 会津若松市(あいづわかまつし)米代1の1の55。鶴ケ城(つるがじょう)入り口バス停から徒歩10分。鶴ケ城西口バス停から徒歩3分。

みんゆうジュニア情報局